2016年の8月  [矢野沙織]


去年もそうだったのをはっきりと覚えていますが、今年も、ある朝起きると予告もなく夏が終わっていました。
その後、どんなに日中暑さの戻りがあっても、それはただの「暑さの戻り」であって、すがるが如く終わらない夏の名残り、というふうではないように感じました。
皆さんの今年の夏はいかがでしたでしょうか。

私にとっては今年の8月は、なんとまあ20代最後の夏となりました。

「今年も海に行こうね、映画もいっぱい観ようね、という風には実際にはならないんだよね、多分混んでるんだろうしね。」
と10代最後の夏にもおそらく思っていたでしょう。
夏とは、それの到来に浮き足立ち圧倒されているうちに、ふと気付いて振り返ればもう後ろ姿なのです。

8月上旬には、かねてから大ファンでありました鈴木勲さんとのライブをしました。
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Photo by Shuntaro Maeda
客席で聴いている分には、いつもいつもただただ卓越した技術とリズム。それから鳴らす音を狙い狙って瞬時に選択しておられる圧倒的な楽しさが聴いて取れました。
言わずと知れた鬼才であり、きっと私の話しは鈴木さんの耳になど届くまい、と思っていました。
しかし、一緒にステージに立ってみるとどうでしょう。
私のレベルを丁寧に丁寧に包み解いてサイズを確認すると、それには大きすぎるベルベットのリボンをかける様な優しさと華やかさで飾った上で、容赦ない鈴木勲ライン。
「今はやるしかないんだ。」
と、思わせ、背中を押して下さる方でした。
当日は、名手ユキ・アリマサさんと黒田和良さんでした。
終演後、
「いやぁ、すごかったねえ」
と、何か特別な景色を見た後のような雰囲気で、興奮と良い脱力感で以って、さっきまで一緒に体験したことを話せたのが嬉しい夜でした。


お盆前の大阪では、
いつもの気心の知れた、名手竹下清さん、時安吉宏さん、竹田達彦さんとのライブでした。
大阪へ来たらこのトリオでやりたいのでした。
いつもゴテゴテと両手いっぱいに作ったものを持って行くと、
きちんと伝えられない私の言葉少なな説明を、これまた言葉少なに汲み取って、ものの見事に音楽に変換して下さる方々です。
その感謝や感激を言葉にするとなんだかとても傲慢な気がして、恥ずかしくて、
「今の感じはとてもイメージ通りでした。素敵でした。」の一言がいえません。この日もきっときちんとは言えませんでした。
「いつか」という時間は実際には存在せず、大切なのはその時なのだぞ、と分かっていてももどかしい。「もう一言おうかな、矢っ張りやめとこか」と一瞬心通わせ笑う。そういう、いつもの暑い夏の、風のない大阪。
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慌てて振り返ってもその日はもうとっくに後ろ姿であること。
15年ほど前の高校生の姿の私であろうが、ついさっきのとうに大人の姿の私であろうが、いつもいつもフラットに言葉少なに、でもたくさんの愛情とあり合わせの気恥ずかしさのようなもので支えてくださいました。楽しい日でした。


そして、実は結構前からハラハラしていた「中国、少林寺サックスマスターズ」

現地に着くと、どうなることだろう…より先に、思っていたより想像以上の「少林寺感」には、楽しいとしか言えない環境でした。

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久しぶりに会えたエリック・アレクサンダーさんとは、13年前に初めてレコーディングをした時の事を笑って話しました。不思議な感じでした。
「なんでまた少林寺で会ってるんだろうね、しかし。」と。

中国広し。なんとなくパタパタと時間が過ぎてゆきライブイベントの日には、初めてお会いしたヴィンセント・ハーリングさんのバンドで演奏しました。
そり立つ少林寺の断崖に見える寺院をバックに、屋根もなく一本のマイクに向かってヴィンスとエリックと私で一生懸命サックスを吹くのは、もう単純に楽しいことでした。

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そう言えばヴィンスも言いました。
「【someday】もいいけど、僕のいつかは最短で2018年だ。連絡を取り合おう。」と。
ニューヨークのジャズミュージシャンとは、やっぱり相変わらずやたら小気味よく、トラディショナルを背負いこんで、ある意味悩みながらもきっと本音なんか見せず、ジャズにかける美意識が高く、絶対に演じきって。
なるほどこりゃあ格好いいや、とあらためて思いました。


時間と自分と夏の繰り返しは、少なくとも29回やってもまだまだ難しく、飽きることができませんでした。

また。

矢野沙織


2016年09月01日22:59 | Comment(2)

実はですね、私は小説を書いているんですよ。  [矢野沙織]

実はですね、私は小説を書いているんですよ。
多少自嘲気味にでもならないとそんな事はなかなか告白できないのでご了承ください。

これは自分が恥ずかしいだけで、実際はなんともまあよくある話なのかも知れませんが、私はおそらく11歳頃から二十歳を過ぎ結構大人になる頃まで「絶対に見られてはいけないノートシリーズ」としておよそ日記のような書き留めをかなりの量日々行っておりました。

切っ掛けは忘れもしない平凡な夏の終わり頃の事でした。おそらく私は9歳くらいだったでしょう。
夏休みも終わり、朝目覚めると慌てて風を確認するために窓を開けると、日毎に涼しくなっていってしまう事がどうにも耐えられずもんどり打っていました。なんとかしなければ、と研究すると、どうやらそれは朝夕の風の涼しきと感じると、溝落のあたりがうずうずとして気になって落ち着かなくなるのが原因だな、と言う事に気が付いたのです。
それがもはや痛みと言っても過言ではなくなり、母に一連の結果を相談すると母は、
 「それは”切ない”って言うんだよ。」と言いました。
それは私にとってかなりの衝撃で、その日から私は「切ないなぁ!切ないなぁ!たまらない!」と叫びつつとりあえず縄跳びをしてみたりして季節の移ろうのに苦しんでおりました。「切ない」と言う痛み方を覚えた私には、もう何事もかなり切なくなりっぱなしになっていたのでした。
紙芝居は始まれば必ず終わること、おやつは今はあっても美味しくて食べてしまえば必ず無くなることに、なんとも言えず泣いた小さな頃から早10年弱。あれは切ない気持ちだったのか!と。それはそれは衝撃的でした。
そしてある日、友達の家に行く道すがら、ちょっとした解体作業現場を通ると、少なからずや町並みがこうして事もなげに少しずつ、でも確実に変わっていくことに案の定かなりの切なさを感じ、その途端に、
 「この様になんでも切ないんではもうだめだ。大人になる前に切なすぎて死んじゃうよ!」と思いました。
それからアホな女子の日記が始まります。その日記の着眼点の平凡さたるや大したもので、眠りに落ちてしまうことや一日が終わってしまうことに対して何でもかんでも「切ない!やだ!」となどと書いてあるような大変元気のいいものでした。

飽きもせず連日連夜と切ながることそれから更に10年余。
実はすでに一つ、正味3万文字程度の小説を一つ書いています。最近だと思っていましたが、期日を見ると、22歳の頃のものでした。私はメカに極端に弱く、またコンパクトタイプの携帯電話全盛期に、控え控えいの花の女子高生時代を送ったため、俗に言うガラケーで打つのが滅茶に早く、その頃はまだそれが正義だったです。それを使ってポチポチと書いた3万文字でした。
それから私もポチポチのない携帯電話を持つようになり、おのずと順応し、今年初めに始めてのパソコンを買い、最初の作品(?)を終えてからなんとなく書き溜めていたものをざっとまとめている所なのです。

矢野沙織

そんな事情があるのです。
今年は隠し持つだけでなく、何か新人賞にでも出してみようかな、と思っている所です。
いつか皆様に読んで頂ける日が来ることを望んで、精進致します。

どうぞよろしく。

矢野沙織

SAORI YANO LIVE INFORMATION

2016/02/07 SUN モーションブルー横浜【矢野沙織 GROUP】
-MEMBER-
大儀見 元(per)、宮川 純(org,p)、小松伸之(ds)、中路英明(tb)
[1st] open_3:15pm / showtime_4:30pm
[2nd] open_6:15pm / showtime_7:30pm
※入替制の公演となります。
お電話でのご予約は、
モーションブルー横浜 045-226-1919
http://urx.nu/rLFM

2016/02/06 SAT 西新井カフェクレール 矢野沙織カルテット
-MEMBER-
ぱくよんせ(pf)、中村健吾(ba)、河村亮(ds)
お電話でのご予約は、
西新井カフェクレール 03-3880-6645
http://www1.adachi.ne.jp/clair/Live_schedule.html
タグ:小説 ジャズ
2016年01月31日18:12 | Comment(3)

一年を通して思い返すこと  [矢野沙織]

みなさま、お疲れ様です。いかがお過ごしでしょうか。

今年も残す所あと僅かですね。


今年の私は、1月〜2月にかけて11枚目のアルバムになります「Bubble Bubble Bebop」の録音をしました。

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それからマスタリングにギリギリまで粘りながら、3月には日野皓正さんのバンドでカンボジアへ行く機会がありました。

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初夏には高野山の金堂にて、リニューアル時にオープニングを務めた「報道ステーション」へ数回目の生演奏出演を致しました。

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そして、夏にはレコードの発売のツアーや、日野さんのバンドでフェスティバルなどに出演をしました。

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「追悼ビリーホリデー」では、憧れだった木村充揮さんや金子マリさんとの共演も叶いました。

秋は少々ボケーっとして、先日冬のツアーを終わらせた所です。

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と、マイペースながら恵まれた環境で素晴らしい方々と演奏ができた一年でした。


さらに、道に咲く花の綺麗と気付いたり、季節の過ぎるのを眺める贅沢を覚えたり、今まで見えなかった色を身に纏う楽しさを知ったりと、少し大人になった気がしました。

また、小さなことではありますが、作詞作曲や、ライブでも歌いたかった曲をいくつか歌ってみたり、やりたかった事をいくつか実現できた年ともなりました。


それから、デビューする前からずっとずっと何故だか思い込んでいた「おかしなこと」と向き合い、消化することもできました。

と、言うのも、度々お話してきたことでもあるのですが、私はどうしても昭和歌謡が好きでして、

どういうわけだか、その哀しい世界を背負って歩いているつもりでいたわけです。


14歳の時に「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」と聴いた日には、「私の人生は暗いんだ。」と思い込みましたし、

「花よ綺麗とおだてられ」ても「咲いてみせりゃすぐ散らされる」んだ…。と思っていました。その類には切りがございません。

それの最たるが、元はニューオリンズ民謡であります「朝日楼」でした。


浅川マキさんが和訳した朝日楼は、

愛した人が帰らなかったために家を出て、ごとごと電車に揺られて女郎部屋へ行き、もう帰れない故郷のプラットホームを思い出す。

そして吐きすてるように、また反対に懇願するように「誰か伝えてくれ、妹に。こんなんになったらお仕舞いだ、ってね。」という歌です。


おかしな言い方ですが、私はこの歌を信じました。

一度でも失敗した暁には、不安定な細いヒールで辛うじて立っているいつものステージの天板が外れ奈落へ落ちるのだ、と。なぜかそう変換してこの歌を信じました。


ですが、フと振り返ると「一度でも失敗する」どころか、一曲中に私が何度どんな転び方をしても、ひょいと掬って元のビートに乗せ戻して自由がきくよう泳がせてくれ、彼らにしか出来ない一流の演奏をするプレーヤーの方々を「私のバンドのメンバーです。」として紹介して歩いていたことに気付き、大変恥ずかしいような嬉しいような誇らしいような。なんとも言えない思いがしたのでした。

するとたちまち、ライブハウスのマスターやママやお客様、様々な人々がいかに「沙織ちゃん」を10年以上も見守って来てくださったかが急に見えて参りまして、またこれもなんだか照れ臭くこそばゆい思いがしました。

特に近い大人から見た私は「ただの沙織ちゃん」で、まさか私が描いてみたような「かわいそうな女」ではなかったわけです。笑


そう思うと、私の愛した哀しい歌を急に演奏してみたくなったのでした。

以前、そう言った思いとは、胸中左前にひたと隠していなければいけない、と思っていたのです。信じられないでしょうが本当にそう思っていたんです。

だから今までは演奏できなかった「朝日楼」を自由に演奏できた年にもなりました。


こんなに長い文を最後まで読んでくださっているうちに、今年の残り時間がさらに僅かとなりました。


みなさま、どうぞ良いお年を、健やかにお過ごしください。


矢野沙織


2016年 矢野沙織ライブ🎶🎶🎶🎶🎶


2/6 西新井カフェクレール

2/7 モーションブルー横浜


詳細は、HPにて発表します。
タグ:2015年 JAZZ
2015年12月31日15:38 | Comment(1)

「マレーナ」口は災いの元  [矢野沙織]

昨晩は2000年に公開された映画「マレーナ」を観ました。

(まだ映画をご覧でなく、この先を読むと鑑賞の楽しみが減る、と思われる方はご注意下さい。)


時は1940年。まだ長閑なシチリア島の海沿いの街が舞台の映画です。

その街は、結婚して間もなく夫が招集された超美貌の人妻、マレーナの噂で持ち切り。


マレーナがひとたび街に出れば男達は前から褒めそやし、後ろからはまあまあのいやらしい言葉で、精一杯マレーナをインスタントに蔑んで自分のエゴを満たしたりする人たちに溢れているわけです。

女達はそんな男衆を見て面白いわけもなく「新婚のマレーナが男無しで暮らせるわけないわよねえ。」的な噂を盛んに巻くし立てます。


1940年代が舞台とあってやっぱりどうしても世界大戦中ですから、イタリアが参戦することに沸く市民や、それにより少しずつ大変になる生活。随所で皆マレーナを視線で追いながら暮らす人々が付けたり消したり、まるでバックミュージックの様に使われる戦況放送のラジオの内容で第二次世界大戦のどの辺りが時代背景なのかを図ることができてとても見事です。ちなみに私の使っているコーン製のアルトサックスは1942年製のものです。


この映画はあくまで青少年の視点から見た「永遠の人妻お姉さん」の数年間の出来事なので、大戦中と言うシリアスな環境に反して、どこかミュージカルタッチに事が運ばれ、また少年という生き物の視野の狭さも同時に表現しているように感じた素晴らしい作品でした。

というのも、「少年の視点」らしく、自分の生活圏しか見えていないことの現れなのか、街全体はとても小さく描かれ、大人は皆大声でばかばかり。それにマレーナの噂話しし過ぎな人々と、たまに戦争。それとなんつっても美しすぎる人妻。そんな感じで大変ミニマルな作品です。


さて、そんな少年もすぐに他の皆と同じ様にマレーナに魅了されてしまい、夜に家を抜け出し始めるとすぐに彼女の家に覗き穴ポイントを見付け出し、もうわっくわくなのです。

その日彼が見た夜の部屋でのマレーナよろしくモニカ?ベルッチは、はち切れんばかりの太ももからぐっと高い位置にある腰に留められたガーターベルトを外してストッキングを丁寧に脱ぎ、ウエーブの長い黒髪を解くと映える彼女独特のあの太めの首に映える強く美しくなんとなく仄暗い後ろ髪引かれるような顔面。そしてスリップ一枚のリラックスした部屋着姿になると、惜しくなんかない!乳なんて放り出してしまえ!とばかりにワガママボディーが裸足のまま、戦争に行った夫の写真を抱いて小躍りする様な清廉な人妻なのです!

しばらくこうしたご褒美シーンが続きますが、これはありし日のモニカ?ベルッチのための映画と言って決して大げさでないでしょう。

少年はそれからもマレーナと距離を取りながら彼女を観察するので、彼の中のマレーナはどこまでも無口です。

映画の序盤でマレーナの夫は戦地で殉死し、心底悲しむマレーナを知りもせず哀悼なんて面だけの男たちがまたどよめきます。

それからまたマレーナを巡りなんだかんだとあり、その度に男だけでなく女衆にまで口汚く陰口を言われ徹底的に避けられます。そんなことは現実にはあり得ないでしょうが、「少年の目にはそう映った。」と解釈するとすべて合点のゆくものです。

そして、とあるとても悲しい事があったであろう夜、少年に覗かれているとも知らずマレーナは夜な夜な自分で髪をザックザク切り、赤毛に染めて翌朝には真っ赤な口紅をさし、広場のテラスで足を組みタバコを吸います。


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みんなが意地悪をして噂した通り、どういうわけかある日マレーナは本当のbitch、売春婦になってしまうのです。

ここでもあくまで「少年目線」なのでマレーナはいつでも黙ったまま。そこも私がこの映画の好きな部分です。この女の心中をいくらでも好きに想像できるわけですから。

そしてあれよあれよと赤毛からプラチナブロンドを50’sカットにしたような「いかにも」な風体になったマレーナはナチお気に入りの売春婦となりその高笑いだけが少年に届きます。


しばらくすると戦況も傾き、シチリア島も爆撃に合うなどしてもまだ尚、マレーナは人々の噂の種で、皆の望み通りのbitchになったのにまだ彼女をこき下ろし、ナチに慰安したとかなんとか理由を付けて女衆からここぞとばかりにリンチに合います。そんな時、男共は黙って見ていたのが印象的でした。

度々「美人は美人で本当に大変なんだよな〜」とぼんやり思う事がありますが、それを盾に俳優やらしていても、どうしても人目を引いてしまう人間に対する集団心理たあ恐ろしいもんだよなぁ、と思いました。この作品では多少大げさにコミカル?に描かれていますが、人が目を離さない存在に対する描写は何か来るものがありました。


地元にいられなくなったマレーナは離れた所へ身を引き、それも嘘か誠か、そこでまた売春婦をしているという話でみな落ち着いていると、捕虜として捕まっていただけだったマレーナの旦那が人相を変えて帰って来ます。

なんとか彼女を探し出し、夫がマレーナを連れて元の街へ帰って来た時の表情がすごい。

基本的に無表情なのは序盤から変わらないのですが、緊張と怒りととうに死んだ心を無表情で表現し、そしてヘアメイクや衣装なんかではカバーできないであろう野暮ったさを以て死んで帰って来るマレーナ、モニカ?ベルッチ。ここにあり。


そのころ件の少年は勝手に大人になっていて、もうどうでもいい感じなのですが、最初で最後、落とし物をしたマレーナに少年は「マレーナさん、お幸せに。」と一言声を掛けます。これもまた良い。

なぜかというと、彼もまたマレーナを勝手に消費した男のうちの一人であり、きっと彼自身も、昔嫌った自分勝手な大人たちの一人になるであろうことを決定づけるような自己満足だけの一方的なセリフ。


しかし、古今東西美人なだけでbitchと呼ばれる風習と、それを否定なんかしてあげない美人の若妻一苦労時代を覗き見れたような同性からするとちょっと後味の悪い、でも目映い映画でした。


矢野沙織


🎶 矢野沙織 ”Bubble Bubble Bebop” 2015 Tour 第二弾 🎶

"Bubble Bubble Bebop Live Tour Second Round"

12/19 Sat 目黒ブルースアレイ [入替制]

12/21 Mon 大阪ミスターケリーズ [入替制]



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詳細はオフィシャルサイトより

2015年11月27日11:11 | Comment(2)

徹底的に待つということ。『リービング・ラスベガス』  [矢野沙織]

秋の夜長、気持ちいいですね。
最近は毎晩ただ一本だけ映画を観ています。
どこかしらの国の誰かしらが監督を務め、「映画」という大作に向けた感受性を拝受してから眠る日々が心地よいのです。
以前は何作も何作も観ましたから、それは止めにして、一本ずつ。

昨晩は1995年公開の『リービング・ラスベガス』を観て。
注)文中に内容についての細かい描写の感想などがあります。


映画が始まってから既にもう主人公は重度のアルコール中毒。
彼はもう使われなくなった元俳優。
映画の新作発表パーティと聞けば以前の顔見知りの監督に小銭をせびりに行き、過去自分が出演した作品の権利をあさり、やっと手に入れた小切手にすら震える手指に力が入らずサインが出来なくてバーに引き返し、昼間から酒を飲んで出直し、銀行の窓口でも構わず急に雄弁になりデタラメを喋る…と言った生活に、街の人々やかつての映画仲間など彼の周囲は皆ハッキリと「君は病気だよ。」とやたら指摘。
皆々さん揃って彼が行く先々でキミ、ビョーキ発言。
「君、病気だ。」とは親しき仲にもなかなか言えることではないけれど、彼の周囲は皆それを面と向かって比較的怒るでもなく、あくまで言葉で本人に指摘している辺り、彼が以前は愛され信頼されてきた事の描写と感じました。
それを今まで黙認して彼をギリギリまで信頼していた俳優紹介会社のボスもこの頃には手切れ金を出して「君は病気だよ、残念だけど辞めてもらう。」と会社をクビになりハリウッドでの俳優生活を辞めざるを得なくなり、家財から何から全てを換金したベン(ニコラス・ケイジ)は、ラスベガスへ行って死ぬまで酒を飲むと決めた。
ここで、
「酒を飲んだからだめになったのか、だめになったから酒を飲むようになったのか。」
と、アル中らしい感傷的かつ印象的なセリフ。
多分どちらでもない、と私は思う。

ラスベガスに着き、ありったけの酒を買い込んで安宿に泊まっていると、ハリボテネオンの街でそれなりに苦労し傷付きながら娼婦をするセラと出会い…。


こう書けば割と使い古された「圧倒的にダメな男と売春婦の共依存物語」かなあ、と思う所ですが、ここはさすがハリウッドの本気。当然一味違うのです。

なんと言っても若く美しく、この街では高級な方である娼婦のセラの口には出さない覚悟と不安の錯誤がたまらないのです。
ある日には、まだまだ最悪の醜態を晒す前のベンはセラに「例え君でも、僕に酒をやめろとは言えないんだよ。いずれは君は僕を嫌になるんだよ。」と昼下がりにゆっくりと優しく言います。
セラは「ありのままのあなたを受け入れます。」と言い、スキットルをプレゼントする。
ベンは嬉しくて悲しくて、どうしたらいいのか分からない顔を一瞬見せます。アル中にスキットルのプレゼント。悲しいですね。

この映画では、ニコラス・ケイジの震えたり叫んだり暴れたりのアル中演技ばかりが評価されているようですが、このシーンの彼の表情は、セリフにしきれなかった心情を全て表しています。

普通ならば、明らかに常軌を逸した飲み方をする者に通りすがりでも「ちょっと気をつけなさいな。」くらい言う。
もといそれが彼女となれば、最初は良かれそう時間が経たないうちにほぼ100%、いかに酒を止めて一緒に幸せに、そして未来の為に健康になると素晴らしいかをあくまで穏やかに「まるで理解者は私しかいないのよ。」とばかりに話すようになるものでしょう。
しかし、それを聞きたくても聞けなくなったアルコール中毒者は、また繰り返し死ぬほど飲んでは時間など忘れて約束を破り厄介を起こし、その度に彼女は勝手に裏切られた気持ちになり、次いでは勝手に彼を信じる様になる。しかしまた彼の変わらない飲酒のための面倒事に勝手に裏切られた気持ちになり、そのうちに彼の一挙一動に日々一喜一憂する云々あって、最終的にヒステリーもギスギスも通り越して疲れて彼の元を去る事になるんでしょう。よく知りませんが多分だいたいそうでしょう。

でも、セラの覚悟は普通とは違いました。彼の全ての行動を許しましたし、お酒飲みを止めませんでした。

しかし「家に帰ってあなたが居たら嬉しいの。」と言うような彼らのほとんどプラッニックだった愛の形に、ある晩セラが仕事に出掛けるのをどこかで許容できなくなっていたベンが非常に嫌な事をセラに言ってしまいます。
その時にセラは、ひとつふたつと瞬きをしてから半身見返って、初めて彼に
「気を付けてね。」と言うのです。たまらん。

それからもアル中男と、強くしなやかな美人の悲しい物語が続くのですが、この映画で感じた事は、圧倒的短所を指摘せずに見守る或いは見殺しにする事の難しさ。

人は図らずも相手の行動に「心配」という布石を投げ付けてでしゃばり過ぎてしまうものです。
それは恋人関係だけでなく親子でも近しい人ならなんでも。

牽制や口出ししない事で相手が世間でいう「だめ」になっても、本当に本人がそれを希望するならば、それもまた有りなのでは。
と問う様な映画でした。

最後に、この映画の音楽ですが、非常にジャズがフューチャーされていてムーディーで良いのですが、内容や役者の表情に注視していると、最早ポップスくらい有名でむせ返るくらい繰り返し流れる重く甘いあのナントカ言うジャズバラッドのタイトルをいちいち最後まで思い出せなくて個人的にちょっとゾワゾワしました。笑

オススメの映画です。

矢野沙織

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矢野沙織 ”Bubble Bubble Bebop” 2015 Tour 第二弾
"Bubble Bubble Bebop Live Tour Second Round"
12/19 Sat 目黒ブルースアレイ [入替制]
12/21 Mon 大阪ミスターケリーズ [入替制]
12/22Tue,23Wed 名古屋スターアイズ

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詳細はオフィシャルサイトより
http://www.yanosaori.com/
2015年11月05日22:43 | Comment(1)

肌色  [矢野沙織]

私はつい今夏まで所謂「肌色」と言いましょうか、ベージュ色の全てのものが目に入っていなかったように思います。

ベージュ色のマニキュアなんて塗っているんだかいないんだから分からないから意味ないじゃない。

ベージュ色のスカートやコート、ましてやパンプスなんて見えないから意味ないじゃない。
本当にそう思っていました。

友達に「このバッグ、ベージュか黒か迷ってるんだ〜」なんて相談された日にはベージュを選択肢に入れ迷う意味が分からなかったのでした。
本当に意味が分からなかったのでした。

ところが。
いつだか、素爪ではなんだな、と言う席があり、ものぐさに「まあ楽そうだ。」と言う理由からベージュ色のネイルを塗ってみたらアラまあ素敵!
押しも引きもせぬ奥ゆかしさと存在感の見事な同居。
光の下では照りと輝き、肌に馴染む馴染む。馴染むにもほどがある。
それから私の視界にベージュが飛び込んで来て世界が楽しくなりました。


いつかの人種問題に取り組む団体の文章で
「世界には色々な肌色があると言うのに、漫然と『肌色』とした表記でベージュ色を持ち出すのは是いかに。」というような記事を見た事がありました。

私の肌は元々黄色っぽく浅黒く、外国へ行って様々な人に会うとブラックともゴールドとも言える様なえもいわれぬ輝く肌色を持つ子や、日本でも桃色のような肌を持つ色白ちゃんをたまに羨ましいと思うことがあった程度で、さして気にもしていなかったのです。

先日ようやく手に入れたChristian Louboutinの「NUDE・ヌード」というコレクション。
上記の人種問題に先駆けてルブタン社が「どの肌色にもヌードのようなパンプスを。」というコンセプトで無数に作られたそれぞれの「肌色」の素敵なパンプス。

私の手に入れたヌードは、やや黄味がかった落ち着いたベージュのパンプスでした。

それは、まるで脚に最初から吸い付いていたかのようによく馴染み、また光の下でやっと艶めく程度の美しい存在感にわっくわく。


作られた無造作。
計算された無秩序。

そう言った類の私の嫌いなものの中に「ベージュ・肌色」が入っていたものですが、視界にベージュが入ったバッグ売り場は少なくともその前より輝かしく、ベージュを身に纏った様々な肌色の人々は麗しい。

そう思うようになりました。


矢野沙織

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2015年10月09日13:01 | Comment(0)

Bye Bye Babylon  [矢野沙織]

先月のレコード発売ツアー、たくさんの方々のご来場ありがとうございます。
それから会場関係者様各位、関わって下さった全ての皆さま、おかげさまでツアーを楽しく健康に終えることが出来ました。ありがとう。

ところで、CDを購入された方、会場にお越しくださった方はもうご存知のことと思いますが、今作では初めて作詞作曲を手掛けました。

その作詞には、私が随分子供の頃からお世話になっている名ピアニストであります、ユキ・アリマサさんの多大なご協力があってのことだったお話をしようと思います。

今作のレコーディングは1月末から2月にかけての飛び石スケジュール三日間で行いました。

だいたい作詞作曲にトライするとなるのだから、もうそれはそれは綿密な練り上げとか、なんかそれに伴うアレやコレやをしなくては、と思いつつ誰に相談していいか分からず(あまりにも恥ずかしく)悶々とすること約半年。

気付けばもう件のレコーディングの正に一週間程度前になっていました。

ここ15年の鬱積した言葉の羅列と多少乱暴なメロディーラインの構図のストックはあれど、もしやそれをどうやったら作詞作曲に結びつけるのか分からないんじゃないのか?と気付いた時には上記の通りレコーディングの一週間前。遅い。気付くの圧倒的に遅い。

矢も盾もたまらず、いつも合間に英語のご本など傍らにしているユキ・アリマサさんに、電話。電話。

きっとさぞ意味不明だっただろうと思いますが、なんとユキさんはかなり熱心に私から事情を聞き出して下さって、なんとか状況説明をすると、もう即日「とりあえず作った詩を送るよう」と。

もうこれは「過去15年程度こじらせたりかぶれたりしているやつを大人に見せるのが恥ずかしい」なんて言っている場合じゃない。

なぜならば、こちらは「も〜、仕方ないなぁ、面倒くさいなあ、意味分からないなあ…」と言われた上で頼み込んでゆくスタイルを予測していたのに、ユキさんはなんと「なんか楽しそうだからさあ。」と、俄然やる気になってしまって下さっているのだから…!

と、まあそんな手に冷や汗握りながら出来上がったのが
「Bye Bye Babylon」の作詞部分なのでした。

CDには歌詞カードもついています。
どうぞ手に取ってお読み下さい。

Bubble Bubble Bebop アルバム情報

写真は、私がユキさんと撮ってもらった一番気に入っている写真です。

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2012年、台湾にて。

年内のスケジュールも、追ってアップしてゆきます。
どうぞお楽しみに。

矢野沙織
2015年09月20日21:54 | Comment(0)

監獄学園  [矢野沙織]

好きな作家の新しく素晴らしいであろう作品に触れるのは私にとって少なからず体力のいることで、先日ツアーを終えてから読み出した「監獄学園」

誰にでもある時期のあの、「出たいけど出たくない現象」を代弁するかの様な「アゴなしゲンと俺物語」の幻から、どこか帰って来れていなかった私にとって監獄学園は大きな勇気となりました。

恥ずべき怠惰で無駄だと思っていた時間や嗜好が、実はそれ無しでは今は形成し得なかったのだぞ。と平本先生自身の作品を踏襲する形で訴えて来る素晴らしい作品。

振り返っても振り返っても気怠い真夏の昼下がりだったような若い日の思い出から少し駒を進めるべくお読み頂きたい。
「監獄学園」
ぜひ、「アゴなしゲンとオレ物語」と併せてどうぞ。
完全におすすめです。

矢野沙織

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タグ:監獄学園
2015年09月03日16:21 | Comment(0)

ブルースの魂 今ここに 〜ビリー・ホリディ生誕100年に寄せて〜出演  [矢野沙織]

【ラジオ出演】8/20 NHK FM 午後7時30分〜午後9時10分
「ブルースの魂 今ここに〜ビリー・ホリディ生誕100年に寄せて〜」
森本レオ,木村充揮,金子マリ,矢野沙織,上田正樹,渋谷毅
http://www4.nhk.or.jp/P3659/

今回は、
「ビリーホリディ」
「ブルース」
という、どうにも魅力的なキーワードの元に、木村充揮さん、金子マリさん、上田正樹さん、渋谷毅さん、そしてナビゲータに森本レオさんと言う各界の豪華で、また渋すぎて一ファンとしてしか皆さんを存じ上げなかったのですが、この様なテーマのときに呼ばれるミュージシャンに私が仲間に入れてもらえて本当に感動しました。

私は14歳の時にビリーホリディの伝記「奇妙な果実」を読みその数奇な運命に魅了されたのと、当時演奏家になる為の手立てが分からなかった私に
「とりあえず一度、人前に出てみることが第一歩と言う選択肢があるのだ。」
と言うことを知るきっかけになりました。
今思えば、「とにかくジャズクラブに手当たり次第に行ってみればなんとかなるんだ。」という判断はだいぶ大雑把ではありましたし、奇妙な果実にもそんな記述は載ってはいないのですが、結果的に私はステージで自分にスポットが当たる地の震える様な感覚を早い段階で経験する事となったのでした。

ビリーホリディ、ブルース。
それはあまりに大きなテーマで、その端くれにも自分の名前が挙がったことが誇りです。

当日は、意外にみんな顔を見合わせながら
「ああしようか、どうしようか。こうしようか!」とその場のセッションというスピード感は失わないけれど、大変に大きな愛情でもって丁寧なリハーサルをし、みな当然会ったこともない歌姫の自分達なりの印象やなんかを喋りまくる、という様な雰囲気でした。

阿吽の仲でいらっしゃる木村充揮さんと金子マリさんで繰り広げられるビリーのレパートリーのスタンダードは、まるで昔から2人で書いていたかのように。

また、天使のダミ声と愛されるで歌われるジャズスタンダードは、昔から木村充揮さんの曲だった様な風合いに生まれ変わり、私はただただ目の前で弾き語りながら「ほれ、次キミのソロやで」言わんばかりの笑顔で気持ち良さそうに歌われる木村さんに対面し、
あぁ今嘘は絶対につけないんだ。うん、どうにでもなっちまえ、と緊張を通り越した何かを実感した瞬間がありました。

私は嬉しかったです。

放送、ぜひ聴いて下さい。

矢野沙織

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矢野沙織 Bubble Bubble Bebop
2015 Live Tour

8/21(金) 名古屋 ブルーノート名古屋
8/27(木) 大阪 ビルボード大阪
Bubble Bubble Bebop 2015 Live Tour 告知ムービー
2015年08月19日14:59 | Comment(0)

ハロルド・メイバーンとの再会  [矢野沙織]

先日、フェスティバルでおよそ10年振りに再会したハロルド・メイバーン。

まだ高校生だった私の1st、2ndアルバムへのご参加と日本での長いツアーをして頂きました。

もう随分昔のことですし、お忙しい方なので私のことは忘れたかな〜…と思いながら話しかけました。

20120317yano.jpg
およそ11年くらい前にハロルドと

すると、彼の大きな体とは相反する懐かしい高い声で、
「サオリか!ヤノサオリか!」と大きな笑顔をくださいました。

再会できて嬉しい、と少し照れながらつまらない挨拶をすると、ハロルドは矢継ぎ早に、
「everything happens to meを演ったのを覚えてるかい?あの時僕はよくもまあこんなに難しい曲を持ってきた子供だと思ったよ。
僕はどう演ろうか考えた。あれは大人の男の曲だからね。
だから、『これからこの子に全ての事が起こり得る。だけどこの子に悪い、全ての事が起きないように。』と願いながらイントロを出したんだ。思い出したよ!」
と。
なんと言う事だろう、、とすぐに言葉に出来ないでいると、
「前と同じだ!サオリの嬉しい時の困ったようなスマイル。いやあ、こんなレディになっても変わらないんだなあ。」と大きな大きな笑顔。

初演でご参加頂いた自作曲の「砂とスカート」についても覚えていて下さって、大まかなメロディーを口ずさみながら、
「この子が精一杯背伸びして大人の振りで作った曲を誰が笑えるだろう。
この子がいつか振り返る、スカートについた砂粒の様なイントロダクションを…と思った。」
と。

私はそんなにも幸せ者だったのですか、と言うに留まって、たまらなく恥ずかしくなってしまい、写真を撮ってもらって。
部屋に帰ってこっそり泣きました。

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2015/7/25 モントレージャズフェスティバルイン能登にて

最新版の「砂とスカート」は、私が当時夢にまで見た強力なサルサバンド&コーラスでずいぶん豪華な仕様になりました。

でも、確かに、まだあの曲を書いたばかりだった15歳の頃の、
「自分はもう十分な大人で、なんだって自分で出来なくてはいけないし、周りの人間に騙されるものか。」と、ハロルド始め周りの大人の優しさも知らずに愚かな事を考えて気張っていた事を振り返りました。

そこには、当時破れかぶれ気分だった私が「どうせ今だけなんだ。」と刹那的に考えた悲しい悲しい未来へ転ばない様、国内外その道の達人たちが必死に私を支える名演が広がっていました。

矢野沙織


矢野沙織 Bubble Bubble Bebop
2015 Live Tour

8/10(月) 横浜 モーションブルー横浜
8/21(金) 名古屋 ブルーノート名古屋
8/27(木) 大阪 ビルボード大阪
Bubble Bubble Bebop 2015 Live Tour 告知ムービー
2015年08月05日18:15 | Comment(0)