本当に残念でした。
藤圭子さんの歌が大好きだった私は、とても悲しいです。
大好きな歌手の藤圭子さん。
思えば、
悲しい歌、どこか影があって、退廃的で、少なくとも人前では負の感情を露わにしないことに美徳を覚えるようになったのは、藤圭子さんの歌を聴いてからだと今更認識しました。
ビリーホリデーを知るより前に、きっとどこかで耳にした、
「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」
の一節は、子どもながらに、何かタブーで、もうその年齢の女というのは充分大人なんだ、と感じていたんだと思いました。
確かに、思い出せば私の若さとは、明るくはじけて、みずみずしい美しさだけの清純なものではなかったのが事実でした。
十代の頃から二十一、二歳まで、日頃から「もうこんな気持ちになることがあるわけがない」と、自分にあったことから、小説の一説、何か思ったことなどをとにかくノートに書き溜めていました。
その中には、当然赤面必至なことも平気で書いてある、というかそれがほとんどですが、中には今では絶対に見過ごすような描写がいくつもありました。
私の「十五、十六、十七」は、ジャズミュージシャンになりたくて、それが叶って、CDを出してもらえて、初めて大きなタイアップの取れた重要な三年間でした。
今思えば苦労などは周りの大人しかしていないはずなのに、十代の多感さから、また幼い頃聴いた藤圭子さんの歌の強烈な印象から、私のそれらは暗いものでした。
もう大人なのだから、と背伸びをして。
これは私個人の習性ですが、好きなら好きなほど、その人の本質など見ないようにするんです。
なので、好きなミュージシャンやなんかの人のインタビューは読まないで、ありがたい写真だけを見るんです。
それで、勝手に「この方はこういう方だから…」と決めて、ファン活動を続行するわけです。
なので、私の中の藤圭子さんとは、若くして「怨歌」と評されるような歌を唄い、その怨みがスターになるにつれて薄れても、きっとそれはそれでご本人は幸せで、ぽいとビールの詮のように捨てられてもあっけらかんと笑い、というか美人だしそんな事は実際はなくて、男衆には姐さんとか呼ばれて、大所帯で昭和の新宿を闊歩して、男勝りの美人で…
という人物像でした。
それが合っていたのか違ったのかはわからないし、知ろうとしなかったのですが、私の中の藤圭子さんはもうこれからずっとそのままなのです。
夜という時間を夢にみた、クーラーもなかった幼い暑い夏の夜を思い出します。
でも少し大きくなると、実際は夜なんてただの夜で、何かいい事が起きるわけでもない。宵っ張りの胸騒ぎの中で、焦りと安堵を繰り返すと夜が白む。
そうすると決まって、諦めた朝が仕方なくどろりとやってくる。
そういう、私の現実と理想をリンクしてくれたのが、藤圭子さんでした。
本当にありがとうございました。
どうか安らかにお休み下さい。
矢野沙織