春でもない夏でもない、
秋でもない冬でもない。
そういう曖昧な季節にどうもよぎるのは太宰作品。
『女生徒』などの女性目線の作品で見せる、女でも子供でもない季節の女性性のいやらしいまでの愛らしさや、太宰自身が貴族であることへの嫌悪と誇大妄想。それに相反する執着とこだわり。
例えば「葉蔵」として自らを登場させた代表作である人間失格。
太宰が見たであろう鏡が綺麗すぎたり悲劇すぎたりして、主人公葉蔵に歪みを見せながらも「道化」になりきれなかった自意識の高さをうかがい知れる。
黙って、それが当然だと、ある部分では誰しも道化を演じて、生涯出来るだけ穏やかにしてみせるのが人間の大多数殆どだろうに、太宰は「自分は道化を演じている」と作品中で素晴らしい具合に泣きわめく。
戦争が悲しくて、汚ないのが悲しくて、人が死んでしまうのが悲しくて、いつもいつも逃げていた太宰。
終戦後は作家として無頼派を宣言し『斜陽』『ヴィヨンの妻』などなど、あんまりにも素晴らしい泣き言を残している。
私の周りで夜な夜なに何か文学の話など気取ってみる時に、親しい人が「太宰は女々しくてやだわ。」と言うのも分かる。
お道化になって人を安心させるどころか、かなりたくさんの近親者を心配させ続けながら連発したであろういつもキレキレの「僕は素敵で可哀想なんです。」ベースのフレーズの嵐。
他に私が好きな俳優、演奏家同様、好きな作家である太宰治の背景はそこまで詳しくはないですが、『桜桃』などの書き上げ切った晩年の作品は、もう年寄りの様な達観と、「まだ言ってんの?」と言いたくなる様な繊細すぎる描写が目立ちます。
当時まだ彼は30代後半だったんですね。
何度かの心中未遂でうっかり亡くなったりして。
男の逃げ腰を、憤りを覚えるほどに素晴らしく書き上げた太宰作品の文庫本は、いつか私が女生徒だった頃、いやもしかしら女子児童だった頃から通学や入浴中にいつでも開き、なんの藻屑とも分からなくなるまで読んでは買い、を繰り返したので、手元にある綺麗なのは今年の5月に買った記念本だけでした。
太宰の皮肉通り、私は男より快楽を余計に頬張るとします。
秋でも冬でもない掛替えのない今時分、
子どもでも大人でもない年齢の帰る事の出来ない感性、
どうぞ大切にしながら風邪など足元にお気を付けてお過ごし下さい。
矢野沙織
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