「昔は良かった」と、自然と隣合わせだった生活を懐かしみ羨んでいるけど、
そのうち私達が、新しい子ども達(レインボーチルドレン)に「昔は良かった」と話す頃には、既に、かつて高度な文明が繁栄していたことを懐かしみ、羨むようになっていると思う。
というのは、その時には金も時間の概念も払拭されきった荒野になっていて、
でもさすがに、氷河期とかそういう意味での終わりではないと思うから生きてる人間は生きてる。
ただ身の回りのものは、もう何も無い。
でも息も吸えれば水もある。
生きられる。
それは多分、宇宙全体のらせんに乗っ取って進んできた一つのらせんがまた、終わっただけで。
そうして、前世界の記憶がある人間達が、何も無くなった世界で、出来るだけその記憶を「記録」する。そして、戦争をした人間が死んでいくのと同様に彼らも死んでいく。
すると残された人間が一度退化したように見えるが(人間と猿は決定的に違う)、そうではなくて、また進化、所謂、新人類の時代が繁栄してゆき、それと同時に古代人(ここでは我々の時代の人間)が高い文明を持っていたという、「記録」を解読しだし、また今現在と同じように終焉を予期する。
そして社会が終わったその頃に、前世界を尽力で模写した物は、ピラミッドとかそういう類のレベルの文明誇示建造物として現代と同様に研究されるんだと思う。
だから、ピラミッドが作られるらせんの前の世界は、今と似ていたんだと思う。
だからまた一度、社会は終わると思う。
だから、丈夫なブーツを買おうと思ったんです。
このブログからエッセイ集出しても
売れると思います!
多分。
個人的には好きです。
丈夫なブーツで、どのような奇跡を起こしますか?
奇跡は起こるものではない。
奇跡は自分で起こすものだ。
夢は、折れなければ実現する。
僕は身をもって証明したい。
見えない山を登っているすべての人のために。
ソロアルピニスト 栗城 史多
先ほどテレビドラマ「球形の荒野」で、映画「カサブランカ」とそっくりのラストシーンを観終わったばかりの非国民hoyden1956です。田村正和もハンフリー・ボガートもトレンチコート似合いますね。なるほど、野上顕一郎も酒場のリックも言わばレジスタンス、それゆえこのラストのパロディが生きるのですね。野上は飛行機に乗る側、リックは見送る側の違いこそあれ。
さらに思い返してみると、野上顕一郎が駅で幼い娘と別れるシーンは、リックが駅でイングリットバーグマンと離れるシーンのパロディのようにも思えます。そして、何年も経ってから再会しまた離れていくという点で、野上の娘とイングリットバーグマンが重なって見えました。
はてさて、球形の荒野たるこの地球にムー大陸やレムリア大陸は、実在したのでしょうかね。火のないところに煙は立たないの伝で行けば、存在したのでしょうね。
地球温暖化というのは短期的なもので、地学の知識によれば今は間氷期、いずれ氷河期になることになっています。もっとも、未来のことは何一つ定かではないとすれば、そうなるかどうかは保証の限りではありません。小学生風の論理で言えば、その前に地球そのものが滅亡するかもしれませんし。
ダーウィンの進化論がどこまで真実かはわかりませんが、それはともかく、永遠の相の下では、沙織ちゃんの言を借りれば「宇宙全体のらせんに乗っ取って」同様の進化なり退化の過程が何度となく繰り返されているのかもしれません。
そんなあまりに壮大なことを考えていると、この生が蝶の夢に過ぎないかもしれないという荘子の考えも、そりゃあそうかもしれないと思えてきます。そして、「死ねば何も無くなる」と言った酒場のリックの虚無主義もそれほど虚しい感じもしなくなります。すべては、生々流転、あるがまま、ということでよろしかろうと存じますが・・・。
ハリウッドに脚本として、売り込み
ジョニーデップ主演で映画作ったら面白そう!!
そんな感想を抱きました。
好きですけど。
ま、適当に頑張ってください。