去年もそうだったのをはっきりと覚えていますが、今年も、ある朝起きると予告もなく夏が終わっていました。
その後、どんなに日中暑さの戻りがあっても、それはただの「暑さの戻り」であって、すがるが如く終わらない夏の名残り、というふうではないように感じました。
皆さんの今年の夏はいかがでしたでしょうか。
私にとっては今年の8月は、なんとまあ20代最後の夏となりました。
「今年も海に行こうね、映画もいっぱい観ようね、という風には実際にはならないんだよね、多分混んでるんだろうしね。」
と10代最後の夏にもおそらく思っていたでしょう。
夏とは、それの到来に浮き足立ち圧倒されているうちに、ふと気付いて振り返ればもう後ろ姿なのです。
8月上旬には、かねてから大ファンでありました鈴木勲さんとのライブをしました。

Photo by Shuntaro Maeda
客席で聴いている分には、いつもいつもただただ卓越した技術とリズム。それから鳴らす音を狙い狙って瞬時に選択しておられる圧倒的な楽しさが聴いて取れました。
言わずと知れた鬼才であり、きっと私の話しは鈴木さんの耳になど届くまい、と思っていました。
しかし、一緒にステージに立ってみるとどうでしょう。
私のレベルを丁寧に丁寧に包み解いてサイズを確認すると、それには大きすぎるベルベットのリボンをかける様な優しさと華やかさで飾った上で、容赦ない鈴木勲ライン。
「今はやるしかないんだ。」
と、思わせ、背中を押して下さる方でした。
当日は、名手ユキ・アリマサさんと黒田和良さんでした。
終演後、
「いやぁ、すごかったねえ」
と、何か特別な景色を見た後のような雰囲気で、興奮と良い脱力感で以って、さっきまで一緒に体験したことを話せたのが嬉しい夜でした。
お盆前の大阪では、
いつもの気心の知れた、名手竹下清さん、時安吉宏さん、竹田達彦さんとのライブでした。
大阪へ来たらこのトリオでやりたいのでした。
いつもゴテゴテと両手いっぱいに作ったものを持って行くと、
きちんと伝えられない私の言葉少なな説明を、これまた言葉少なに汲み取って、ものの見事に音楽に変換して下さる方々です。
その感謝や感激を言葉にするとなんだかとても傲慢な気がして、恥ずかしくて、
「今の感じはとてもイメージ通りでした。素敵でした。」の一言がいえません。この日もきっときちんとは言えませんでした。
「いつか」という時間は実際には存在せず、大切なのはその時なのだぞ、と分かっていてももどかしい。「もう一言おうかな、矢っ張りやめとこか」と一瞬心通わせ笑う。そういう、いつもの暑い夏の、風のない大阪。

慌てて振り返ってもその日はもうとっくに後ろ姿であること。
15年ほど前の高校生の姿の私であろうが、ついさっきのとうに大人の姿の私であろうが、いつもいつもフラットに言葉少なに、でもたくさんの愛情とあり合わせの気恥ずかしさのようなもので支えてくださいました。楽しい日でした。
そして、実は結構前からハラハラしていた「中国、少林寺サックスマスターズ」
現地に着くと、どうなることだろう…より先に、思っていたより想像以上の「少林寺感」には、楽しいとしか言えない環境でした。

久しぶりに会えたエリック・アレクサンダーさんとは、13年前に初めてレコーディングをした時の事を笑って話しました。不思議な感じでした。
「なんでまた少林寺で会ってるんだろうね、しかし。」と。
中国広し。なんとなくパタパタと時間が過ぎてゆきライブイベントの日には、初めてお会いしたヴィンセント・ハーリングさんのバンドで演奏しました。
そり立つ少林寺の断崖に見える寺院をバックに、屋根もなく一本のマイクに向かってヴィンスとエリックと私で一生懸命サックスを吹くのは、もう単純に楽しいことでした。

そう言えばヴィンスも言いました。
「【someday】もいいけど、僕のいつかは最短で2018年だ。連絡を取り合おう。」と。
ニューヨークのジャズミュージシャンとは、やっぱり相変わらずやたら小気味よく、トラディショナルを背負いこんで、ある意味悩みながらもきっと本音なんか見せず、ジャズにかける美意識が高く、絶対に演じきって。
なるほどこりゃあ格好いいや、とあらためて思いました。
時間と自分と夏の繰り返しは、少なくとも29回やってもまだまだ難しく、飽きることができませんでした。
また。
矢野沙織
貴女の活躍をお祈り致します。敬具
先日、そのトリオのドラム「竹田達彦」さんが急死されました。沙織さんが言っていた「大阪ではこのメンバーでやりたいです。」がもう叶いません。残念です。